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●2005-10-28(金):祝★HPアップ

ようやく「『奥』の細道」をアップすることができました。

本当はオリッサに着いたらすぐやろうと思っていたのですが遅くなってしまいました。というのはまだ家にインターネットの回線がつながっていないためネットカフェに来なければならないのですが、

雨で道がグチャグチャしてたから出歩きたくなかったのです、、、。

ということで、まだまだ未完成な部分が多い「『奥』の細道」ですが、時々見ていって下さい。そしてメールでもいただけると幸いです。

そしてなぜか載せてある写真が見れないようなので、今後改善していきます。

あ、それから長期間更新が途絶えた場合、それは雨が降って道がグチャグチャしているか、もしくはバランプールから逃亡した、ということを意味していると思ってください。
果たしてこの街でやっていけるのか不安です。

●2005-10-24(月):バランプールのアイドル

まだカーテンを付けてない窓から突き刺さる強烈な日差しで目が覚める。かなりいい天気。

そういえば、たいし堂氏が買っておいてくれた洗濯機の使い方を説明しに電気屋さんが来るらしい。

説明されなくてもわかるような単純な2層式なんだけど、、、、。

とは言え、セッティングもまだなので、電気屋が来るまで洗濯用ロープをベランダに張ることにした。
どう張ろうか四苦八苦していると、遠くのほうから「ハロー!ハロー!」と叫ぶ声。始めは気にしてなかったのだが、かなり長い間叫んでいるので何事かと声のする方を見てみると、斜め向かいにある2階建ての男子学生寮の廊下から私に向かって手を振る上半身裸の若い男がひとり。私は5階。その距離約40メートル。

あ、私に言ってたのね。

きっと外国人が珍しいのだろう。私も小さい頃、外国人を見ると必ず
「ヘルプミー!!」って車から身を乗り出してまで叫んでたっけ。親大慌て。

それはさておき、対応に困ったのでとりあえず彼は無視。
が、そんなことにはめげないよ、といった感じで「ハロー!!ハロー!!」の叫び声はさらに激しくなる。あまりにしつこいのでまた振り返ってみると、
手を振る若者達は10人くらいに増えていた。しかもみんな超笑顔。
仕方なく、手を振り返してあげる。男子寮から湧き上がるちょっとした歓声。それからしばらく「ハロー!ハロー!」が続いた、、、。

早く学校行けよっ!




●2005-10-23(日):我が家

インドで家を探すに当たり、私が出した条件がいくつかある。

①24時間、蛇口から水が出ること。
②風通しが良いこと。
③トイレがキレイであること。

たいし堂氏が見つけてくれたバランプールの我が家「シュリータワー」は、この街で唯一の高級アパートだ(この街のレベルで「高級」です、、、。豪華億ションとか想像しないで下さい)。なので①の条件はクリア、水量も十分だ。②も5階だし窓がたくさんついているので風はよく通る。
問題は③。たいし堂氏曰く、”とてもキレイ”というトイレを見てビックリ仰天。
詳しくは言わないが、たくさんこびりついているぅ~。しかも2つあるトイレ両方。

たいし堂氏よ、そこらへんの衛生感覚までインドに染まらないでくれ、、、。

こんな不特定多数の汚れ、掃除したくない。ということで、このアパートに通っている掃除の人にお願いした。ついでに部屋の掃除も。
お金に余裕がある家庭ではこういう人を雇って毎日掃除してもらっているそうだ。それで月々300ルピー(800円弱)。ウチもどうかと聞かれたが、今回みたいな場合以外は自分でやった方がよい。だって掃除のおじさん、便器も風呂場も同じタワシ使ってたもん。

※ちなみに我が家の家賃は月3000ルピー(約8000円弱!!)。これでベッドルーム2つ、リビング、キッチン、バス&トイレ2つ。リビングの床は大理石。
同じような条件の物件をチェンナイで探すとなると確実に1万ルピー以上はするというからオリッサの田舎具合がわかってもらえるでしょう。

家の写真は後日、家具が揃った時にアップします。今はとても見れたもんじゃない、、、。


ベランダからの眺め
●2005-10-22(土):いざバランプールへ!!

ついにこの日がやってきてしまった。
もとはと言えば、チェンナイかムンバイか、どちらにしても大都市に住むから、
ということでOKしたインド行き。
大都市なら私もヒマすることなく、お買い物とかぁ、ヨガのお稽古とかぁ、優雅なランチとかぁ、あわよくば仕事だって見つかるかも♪なんてことを期待していた。程良くインドライフが楽しむつもりだった。
なのに、ついこの間、7月の終わり、会社に辞めるって言った直後にっ!!オリッサに住むことになったという連絡が。

つーか、都市じゃないインドの街がどれほどヤバイか想像できますから、自分。街中、牛のウ○コまみれですから!!

インドに来てから、私もオリッサに行くと言うと、皆一様に哀れみのまなざしを向けてきた。インド人さえ嫌がるオリッサって、、、。旅行ならまだしも、3年間も住むことを考えるとすでに気が重い。

なのでチェンナイでたいし堂氏の同僚達に別れを告げたとき、思わず叫んでしまった。

”おっ父~、オラ行きだくねぇだぁ~”

泣く泣くたいし堂氏に引きずられチェンナイ空港へ、そして何だかんだとオリッサの州都ブバネシュワルの空港へ着いてしまった。着陸寸前に見えた初オリッサは一面の緑・緑・緑。家もビルもねぇよ!! と思ったら辛うじて街が見えた。州都なのに、なんてコンパクトなのかしら。空港にも犬が歩いているわ。

それからブバネシュワルから158キロのところにあるバランプールへ。車もバイクも人も牛も全てが逆走OKの道を車で4時間半かけてたどり着いたバランプールは、牛・野良犬150%増量(チェンナイ比)。当然、街中ウ○コだらけ、、、。道路はガタガタ・グチャグチャ。き~た~な~い~。しかも、いろんなニオイが漂ってて、く~さ~い~。

チェンナイに帰っていいですか?

※あとで知ったけど、ブバネシュワルの人口は40万人らしい。私が飛行機から見た街は一部だけだったみたい。と、祈りたい。

●2005-10-21(金):居住許可証受け取り

1週間ほど前に申請した居住許可証を取りにいく。

たいし堂氏は2年間の許可が出たらしいが、私は1年だけだった。1年後に再申請をすることになる。
これはビザとは別物で、この許可証があると飛行機や電車、寺院などの入場料、一部のホテルなど各施設をインド人料金で利用できる。外国人料金とはかなり値差があるので、これはお得だ。

●2005-10-20(木):チェンナイ市内観光

チェンナイに来てから、たいし堂氏の同僚から「マリーナビーチには行ったか??」と聞かれることが多かったので、ついに行くことにした。
チェンナイっ子は夜ビーチに行くと言うので夕方に出発。ついでに近くにあるヒンドゥー寺院パルタサラティも寄ってみる。

ヒンドゥー教の雰囲気満点のお寺(中の写真が撮れないのが残念)。ちょうど中の神殿で30人くらいのお坊さんがお経を唱えている最中で、そのまわりを観光バスで乗り付けた信者達が囲んでいた。なぜか信者は年配の女性ばかり。老人が信心深いのはどこの国も一緒だ。
お経が終わるとお坊さんが水と豆を配る。皆それをもらおうと手を伸ばしていたので、私もついでに豆をもらってみた。まだ暖かい煮豆。味は薄い塩味だった。


そしてマリーナビーチへ。海岸沿いらしき道には食べ物や雑貨の屋台がずらっと並んでいて明るいが、歩けど歩けど一向に海も人も見えない。見えるのは真っ暗な広場にポツポツと小さな光。なんだろうと近づいてみると、広場は砂浜で光は砂浜に置かれたランプだった。そしてさらに良く見てみると砂浜にはたくさんの人の影。一人砂浜に座っている人もいれば、寝ている人もいるし、語り合うカップルや友人同士数人で遊んでいるグループもある。

お~、海は見えないがここがチェンナイの夕涼みスポット、マリーナビーチか。

昼間は暑いので、夕方からこのビーチにきて思い思いに涼んでいくらしい。かなり遠くの方まで人がいっぱいいる。そしてランプを置いている人はどうやら占い師のようだ。砂浜に座って手相をみたり独特の道具を使って占うらしい。
私達もしばし砂浜に座っていたが、海が見えない砂浜の無意味さに気付き長居せずに帰ることにした。
だいたい涼めるのはいいが、潮風で体がベタベタしてくるのが不快だ。

帰りにチェンナイおしゃれスポットのひとつ、パークホテルの高級イタリアンでディナー。普段はあまり見かけない外国人がたくさんいた。


●2005-10-15(土):インド式フライドチキンの食べ方

今日は良い天気だったので、ちょいと足を伸ばして60キロほど離れたマハーバリプラムというところまで日帰り旅行をしてきた。久々の一人旅。詳しくは「ぶらり旅」をご覧ください。

で、帰ってきたのが夜の8時くらい。がっつり肉が食べたかったので近くのフライドチキン屋「ChikKing」へ。ハンバーガー等もあり、ちょうどケンタッキーフライドチキンと同じような所なのだが、ここインドでは家族連れで賑わっている。

では、そこで学んだインド式フライドチキンの食べ方をお教えいたします。

①フライドチキンのみを頼むと、何も挟まっていないバンズも一緒についてくる。
②右手だけでチキンの肉をむしり、バンズもナンやチャパティと同じ感覚で少しちぎって一緒に食べる。お好みでケチャップやガーリックソースを付けてもよし。That's it!


これだけだが、この右手のみで骨付きフライドチキンを食べるのはとても大変。相当、指力が必要だ。もちろん最後の方に少しだけ骨に身がついている状態でもかぶりついたりしない。あくまで右手のみ。

私も早速マネしてみたが、途中でイライラしてかぶりついてしまった。

今晩の夕飯にでもチャレンジしてみてください。いつもと違う味がしますよ。

●2005-10-13(木):チェンナイの住宅街

何日かぶりに晴れていたので、近所を散策する。

今、滞在しているのはたいし堂氏のチェンナイでのオフィスと寮があるコタリロードという高級住宅街の一角。まわりには高い塀と門番がいるような豪邸が並んでいる。
が、一本道を入るとすぐに庶民の住宅が並ぶ。庶民の住宅も様々で、頑張ってマイホーム建てました風の小さなコンクリート製一軒屋(このレベルまでは家に水道があるようだ)、築数十年の町営住宅風の団地、木造バナナ葺き屋根(このレベルまでは室内にテレビがある)、全体がバナナの葉でできた小屋、、、。様々な建築様式が徒歩約10分の範囲で見ることができる。
また、そういった庶民の人たちは1日のほとんどを家の外で過ごしているようだ。水道がないので、洗濯用井戸や生活用水用のまわりは女性達がおしゃべりをしているし、老人同士も外に椅子を出して座っている。子供は幼い妹や弟を道で子守している。基本的に家の扉は開けっ放し。夜も暑いので道に出てきて寝ている。日本と違ってかなりオープンな生活だ。


豪邸の表札。看板かと思うくらいでかい。神棚付きの家も。


●2005-10-11(火):スイカ祭り(?)

チェンナイに来て以来、雨が続く。雨季は終わったらしいのだが。

おとといあたりから道っ端に割れたスイカがところどころで落ちているので、荷台を山積みにしたスイカ売りが道すがら落として行ってしまったのかと思っていたら、今日になって町中にスイカが散乱していた。スイカ割り祭り??

よくよく見てみると、それはスイカではなく赤く染められた冬瓜だった。そういえば、この間スーパーに行った時に冬瓜が山積みになって売られていた。何の意味があるのか知らないが、どうせ赤くするならいっそのことスイカを使えばいいのに。


街にはバナナの葉や花で飾られた車やリクショーが走っている。まるで日本の正月のお飾りのよう。昨日のプージャと関係があるのかな?


●2005-10-10(月):ドゥルガプージャ


ドゥルガプージャというお祭りがあった。お祭りと言っても街でドンドン派手にやるようなものではなく、日本の”せがけ”のようにお坊さん(タミル語でバッディア)が各家庭や会社に訪問して祭壇の前でお経を唱えるというもの。

たいし堂氏のオフィスがある建物の一部にも祭壇が作られ、花に飾られた神様ガネーシャの絵やランプ、お供え物の果物、花びらなどが配置されていた。
3時過ぎに職員や関係者がぞろぞろと集まり、上半身裸のバッディアのお経が始まる。途中、お香を焚いたり、ココナッツを割って中の汁を床に振りかけたり、花びらを祭壇にかけたり、淡々と進んでいく。
私達は立ってそれを見ているのだが、最後のほうにバッディアがランプを持って一人一人の所へ来るので、両手を火にかざし(熱くないのか??というところまで火に手を近づける人が多かった)、顔や額に手を持っていく。それから皆で花びらを祭壇に向かって投げて終わり。 所要30分くらい。


お経の途中、携帯が何度も鳴ったので誰だ??と思っていたら、儀式が終わってからバッディアが携帯をチェックして折り返ししていた。


そういえば、時々バッティアがバイクに乗って街を走っている姿を見かけるから、日本のお坊さんと同じような感覚だ。

●2005-10-9(日):ダンスパーティー

ラジャスタン(インドの地名、パキスタンの方)ダンスが見れるというので、行ってみた。子供から大人まで参加者らしききらびやかな衣装を着た人たちや観客が続々と集まって夜10時半過ぎになってスタート。生演奏に生歌。ダンスは同じ動きの繰り返しで、輪になって踊るのでちょうど盆踊りやフォークダンスのような感じ。

どうやらダンスコンテストも兼ねているらしく、番号札を付けた人たちが多い。衣装がきれいだ。そうでない人は飛び入り参加らしい。徐々に参加者が多くなって、体育館のような会場は熱気で包まれる。

始まってから1時間、そういえばダンスも演奏もノンストップだ。そろそろ次のダンスが始まったりするのかな??と思っていたらさらに1時間がたった。長い。気になって聞いてみると、このダンスはこれからさらに2時間くらいは続くらしい。

計4時間、ぶっ通し!?

結局、飽きてしまったので私達は帰ることにした。次の日聞いてみると、夜中にもうひとつのダンスが始まり、結局4時過ぎまで踊り続けられたそうだ。タフだなぁ。

●2005-10-8(木):数の数え方

片手で数を数えるとき、日本だと指1本を1として5までしか数えられないが、
なんとインド人は20まで数えられると言う。

やり方は、簡単。指の”しわ”を数えるのだ。

指の付け根のしわを1、次の間接のしわを2、その次を3、指先を4とする。
指1本4まで数えるので合計20になるのだ。

小指の付け根から数え始めて、親指の先が20で終わり。数えるときは親指の先を使う。写真は”3”の状態。

慣れたら便利そうだ。

●2005-10-7(金):チェンナイ初日

昼まで寝た後、歩いて1分のところにあるたいし堂氏のオフィスへ挨拶に行く。
みんな、英語がすごく達者なのだがやっぱり私には何を言っているのかわからない。

今日はチェンナイ市内の非インド的なスポットへ。

まず英語の本屋。広さも取り扱っている種類もアメリカの普通の本屋さん並み。村上春樹の翻訳本も多数置かれていた。値段は400ルピーくらい。

そして家庭用品屋。ここには家電と台所用品、ちょとしたインテリアグッズなどがあり、大半が輸入品。おしゃれなものもある。

コーヒーショップで一休み。メニューも内装もちょうどスターバックスのような感じでまるでインドっぽくない所だ。値段も当然他より高めで、アイスカフェラテ(グランデくらいのサイズ)が25ルピー。


先進国にいるのとさほど変わらない感じだ。8年の間に随分発展したな~。

●2005-10-6(木):バックパックを背負って、飛行機で、嫁入り。

ついに出発です。
そして、今日が「嫁入り」の日でもあります。

お父さん、お母さん、今までありがとうございました、、、。

というヒマもないくらい、やっぱりバタバタの慌しい出発になってしまった。

荷物は、預ける用の大きなスーツケースひとつ、手荷物用の小さなスーツケースひとつとバックパック。
預けるスーツケースは体重計で量ってぴったり31キロに合わせてあったので問題はなかったが、手荷物用のスーツケースが9キロ重量オーバーとなってしまった。超過料金は1キロ4000円。
とりあえずこの場では中身のいくつかを両親に渡してチェックをパスし、後でまた入れなおしておいた。だって大事な味噌やワインが入ってるんですもの。

飛行機はガラガラなのに乗客の大半はインド人なので、早速インド臭ムンムン。

クサいです。

しかもインド人の話す英語がよくわからない。ショック。私の1年間のアメリカ滞在はなんだったんだ、、、、。
昼12時に出発して、デリー経由ムンバイ着が現地時間の夜8時過ぎ、それから深夜1時のチェンナイ行きの飛行機まで約5時間空港で待つことになる。
リクライニング式の椅子があったのでそこで寝ることもできたが、同じ便に乗っていた日本人で元中学の校長先生というおじいさんが次の乗り継ぎまで8時間あるということなので、いろいろ話をして時間をつぶすことができた。

そして3時ちょっと前にチェンナイ空港到着。たいし堂氏が迎えに来てくれた。
滞在先である、会社の寮までタクシーで約30分。まだ暗いチェンナイの街を眺めてみる。

8年ぶりのインド。

その時は1ヶ月ほどの旅行。当時の私にとってインドは旅行するには魅力的なところだと思った。車窓から見えるインドの街並みが懐かしい。
が、これから生活することになると思うと、不思議と新鮮な雰囲気が感じられる。

インドで暮らす。

それが容易ではないことは覚悟している。嫌になったらたいし堂氏をおいてとっとと日本に帰るつもりだ。
1年だけの滞在になるか3年なのかはわからないが、インドにいる限りは楽しく、そしていろんなことを経験しようと思う。

●2005-10-5:(水)国際免許取得

念のため取っておくことにした。
以前使っていた国際免許とパスポートと写真1枚を持っていく。

免許のサインを間違って旧姓でしてしまった。

●2005-10-3(月):VIZAゲット!

ビザ用の書類が集まったので九段下にあるインド大使館に行く。
記入するべき書類もホームページからダウンロードして書いていったので後は申請するのみ。受付で番号札を取り椅子に座る。
申請は午前中だけなので人がたくさん待っている。その部屋にあるテレビでインドの番組を流していた。う~ん、やっぱ濃い~。
45分くらい待った所でようやく私の番になる。そこで書類だけを渡して係りに呼ばれるまで待機。

15分くらいして呼ばれていくと、係りの人に「主婦、ですよね?」と聞かれた。

やはりあえて空欄にしておいた職業欄に何かしら書かなければならないらしい。
確かに私は「主婦」になる。しかも超「専業」。でも「主婦」なんて、い~や~だ~。できるなら「求職中」もしくは「休職中」にさせてほしい、、、、。
思わぬ所でショックを受けながらも書類は無事受理され、夕方にビザが受け取れることになった。ということでそれまで飯田橋で働く友人とランチすることにした。しかもネパールカレー屋。

●大使館のすぐ近くに靖国神社があったので、行ってみた。



●2005-10-2(日):破傷風腫れる。

2回目の破傷風の後がまた腫れあがってかゆくなってきたので、早速マツキヨでリバノール液を買ってきた。
たくあんくらい真っ黄色の液がなんとなく不気味だが、それをつけて1時間くらいたったころにはすっかり腫れが引いてかゆみもおさまっていた。
随分と即効性があるが劇薬なのか?

●2005-10-1(土):再び注射

破傷風とA型肝炎それぞれ2回目の予防接種をする。
前回、破傷風を接種した部分が1週間くらい腫れあがってかゆくなったことと、時々体にじんましんが出たことを告げると、リバノール液なるものを接種部に塗ることを教えてくれた。

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