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●2007-1-30:両親の訪印記1

1週間ぶりに帰ってきたバランプールは、朝晩の涼しさがなくなってもうすっかり初夏の陽気になっていました。スイカも売り出されてきたし、これからグングン暑くなります。
ということで、旅行記です。

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2006年1月18日~1月28日:『オリッサ~デリーを駆け巡る旅10日間』
~いろんなインドを見せちゃいます~ その1


両親が訪印するとなったとき一番困ったのが、どのレベルの旅にするか?ということ。
というのはウチの父親は好奇心旺盛なので多少の"インド的衝撃”なら楽しんで受け入れられるのだが、問題は母親。かなりの潔癖症なため、インド到着早々に拒否反応を示すのは明らかだからだ。もちろん日本のツアーのように、全行程の移動はチャーター車で外資系などの高級ホテルに泊まるという、インドの負の部分は見せない旅行にすることもできる。
だが、インドで1、2を争う貧しい州・オリッサの片田舎街バランプールにも来たいということだったので、どうしても完全な『セレブの旅』は無理。それならば母親には時々我慢してもらい、都会も田舎も富も貧もできるだけ『おもしろインド』を体験してもらうことに決めた。
最終的に消化した日程は下記の通り。

《旅程表》

[1/18]
18時、エアインディア307便(成田デリー直行便)にてデリー着。
日本人ガイド(私)の出迎え後、空港のプリペイドタクシーにてコンノートプレイスへ移動。
宿泊:Hotel Alka Annex
[1/19]
サハラ航空6143便デリー8:15発→オリッサ・ブバネシュワル10:15着
チャーター車にて、工芸品の村プピリ・世界遺産コナラクの太陽寺院観光(所要4時間)。
インド4大聖地のひとつプリーにあるホテルにチェックイン。
ホテルにて休息後、付近の海岸からベンガル湾に沈む夕陽を堪能。
夕食:日本食(ホテルガンダーラ)
宿泊:ホテルガンダーラ
[1/20]
朝食:ジャーマンベーカリー
ホテルチェックアウト後、プリー・ジャガンナート寺院見学。
チャーター車にてアジア最大の汽水湖・チリカ経由でバランプールへ(所要6時間)。
夕食:日本食(ホテル・タイシマハール)
宿泊:ホテル・タイシマハール
[1/21]
午前中は我がタイシマハールにて洗濯&休息。
午後からチャーター車で1時間ほどの所にある、Rushiklya河口へ。漁師の仕事を見学後、漁船をチャーターして沖にいる海亀を見る。
夕食:インド料理&カレーの食べ方講座(ホテル・タイシマハール)
宿泊:ホテル・タイシマハール
[1/22]
朝5時半にバランプール発、チャーター車でブバネシュワルへ。
ビンドゥサガール・リンガラージ寺院観光後、オリッサの工芸品を売るエカムラハットにてお土産購入。
昼食:中華&インド料理(ブバネシュワル空港内レストラン)
サハラ航空6316便ブバネシュワル13:00発→カルカッタ13:55着。
プリペイドタクシーにて市内ホテルへ。夕食まで休息。
夕食:洋食(リットンホテル)
宿泊:リットンホテル
[1/23]
朝食:リットンホテル
ホテル付近にある大きなバザール、ニューマーケットにて野菜・肉・魚市場を散策。
チェックアウト後、荷物をホテルに預け地下鉄に乗ってセレブリティデパート(フォーラム)に行き、買い物。
昼食:ベンガル料理(Kewpies)
食後もインド服やお土産などをセレブ買い。
ホテルで荷物をピックアップし、タクシーでハウラー駅に移動。
寝台列車(AmritsalExpress)カルカッタ19:20発に乗車。
[1/24]
9:20にバラナシ着。
プリペイドタクシーでアッシーガートのあるホテルに向かい、チェックイン。チャイで休息。
昼食:中華料理(Hotel Palace on Ganges)
食後、アッシーガート付近の散策。
夕食:インド家庭料理(Sahi River View Guest House)
宿泊:Sahi River View Guest House
[1/25]
朝6時半にチャーターしたボートに乗り、ガンジス河クルーズ。ヒンドゥー教徒の沐浴や日の出を見学(所要2時間)。
朝食:洋食(Hotel Palace on Ganges)
ホテルをチェックアウト、荷物を預けて、オートリクショーでメインのガートに行き、付近や火葬場などを散策。帰りはサイクルリクショー体験。
ホテルで荷物をピックアップ後、タクシーで空港へ(所要1時間)。
サハラ航空115便バラナシ16:00発→デリー17:20着。
夕食&宿泊:ホテルコンノート
[1/26]
午前中はホテルで休息。
午後からオートリクショーでインド門・レッドフォート観光。
ニザムディン駅からデリー16:00発(2434Chennai Rajdhni Exp.)の列車に乗り、アグラーへ(18:08着)。チャーター車にてホテルへ。
夕食&宿泊:Jaypee Hotel
[1/27]
朝食:ホテル
8時よりチャーター車でタージマハール・アグラー城・大理石細工のお土産屋さん見学。
チャーター車でデリーに移動(所要4時間半)、ディリーハットにてお土産を買い、空港へ。
エアインディア306便21:35発にて一路、帰国の途に。
株式会社タイチ・アイ・エス


当然アクシデントがあったので当初の予定の70%くらいの消化率となってしまったが、それでも初インドにしては主要観光地以外にも『おもしろインド』のポイントは多くおさえられた思う。父親はオートリクショーの運転までしていったし。

明日からは、旅の準備など項目別に旅行の様子を書いていきたいと思います。


●2007-1-29:帰ってきました。

昨夜、あっという間の10日間の旅行から帰ってきました。なかなか良い旅だったと思います。

両親については、父親はそれなりに楽しんでいたようですが、母親にはちょっとインドの現実は厳しかったみたい。足早に空港へ入っていく姿が印象に残っています。

今日は洗濯と食料買出しなどをするので旅の様子は明日から・・・
ちょっと朝寝します。おやすみなさい。


●2007-1-21:とりあえず帰バランプール

昨日、バランプールに着きました。この数日間をダイジェストで追ってみると・・・

[1/13]
夜、チェンナイ着
[1/14]
アパート探し・たいし堂氏新オフィス訪問
[1/15]
高熱でダウン。終日寝ていた私の30歳誕生日。
[1/16]
まだ熱ありで安静状態。
[1/17]
午前中はずーーっとビザの更新。午後は一息。
[1/18]
昼発の飛行機(バンガロール経由)で夕方にデリー着、同日夜デリー着の両親迎え。
予約したホテルに行くと、勝手にキャンセルされているという事件発生!一悶着の末、違うホテルへ移動(親、早速インドのいい加減さの洗礼を受ける)。
[1/19]
早朝の飛行機でオリッサ・ブバネシュワルへ。その後、車で1時間半のところにあるコナラク観光後、車で1時間ほど移動しプリーのホテルにチェックイン。
[1/20]
朝ホテルを出発、プリーにあるインドでも有名なジャガンナート寺院付近を歩き(親、インドの雑踏・物乞い・物売りの洗礼を受ける)、チリカ湖経由でバランプールへ。
親、バケツと手桶で入るインド的シャワーに悪戦苦闘(ウチの風呂には湯沸かし器がない)。さらに断続的停電が寝るまで続く。
[1/21]
午前中は我が『ホテル・タイシマハール』にてくつろいで、午後からウミガメが産卵している海岸に行く。


という感じです。
『スムーズに物事が進まなくて当たり前、うまくいったらラッキーのインド』なので、突発のアクシデントは覚悟していたものの、旅慣れてない両親をひとりで案内することは思っていた以上に大変でした。インドと日本の諸々のシステムの違いを説明していかなければなりませんし、何より私1人では2人に目が届かないのです。
父親と露店を見ていたら、母親が遠くで物乞いや物売りに追い掛け回されていたり、母と話をしている最中、写真撮影に夢中になっている父がサイクルリクショーに轢かれそうになっていたり・・・。
観光バスに乗ってキレイなところだけを見ていく旅行会社のパッケージツアーとは違って、個人旅行はインドの”混沌”の部分を体験する機会が多いので、年老いた両親にとっても大変だと思います。
私としてもカルカッタでたいし堂氏と合流し、1対1アテンド体勢を組むまでは気が抜けません。

今後も短期間で各地を回るため、かなり怒涛のスケジュールになっていて、飛行機をフルに利用してカルカッタ・バラナシ・アグラー・デリーに行きます。

両親の初インド第一印象。
父:『広ーい。すごーい。』
母:『(いろんな意味で)ア然・・・』

次回更新は、28日以降になります。

●2007-1-12:チェンナイに行ってきます。

これから深夜00:10発の寝台電車Coromandal Expressでチェンナイに向かいます。明日の17:15にチェンナイ着予定。

20時間に及ぶ電車移動はもう慣れたもんですヨ。 半分以上は寝てるんですが、本を読んだり、同じコンパートメントになった人と話したり、車窓を眺めたりして時間を潰しています。バランプール-チェンナイ間では、途中で大きな駅2つ(ヴィシャカパトナム・ヴィジェワダ)に20分程度止まるのですが、それぞれの駅で必ず食べるものがあるので、それも楽しみのひとつ。

今回の訪チェンの目的は1:家探し、2:ビザ更新。短期間しか滞在できないので、どちらもスムーズに進むことを祈ります。


●2007-1-11:オトナのお寺。

インドはいろいろな面でかなり保守的な国なんですけど、寺院に限ってはそうでもありません。カジュラホーで有名な男女混合像などは、オリッサの古い寺院でも多く見られますが、石の彫刻なので美術品としてとらえることができイヤラしさはありません。でも、最近のお寺だとペンキで塗られているものが多く、妙にリアルで驚くことがあります。例えば、



バランプール駅前にある猿の神様ハヌマンを祭る寺。
道に面した門前に2匹の猿の像があります。
拡大すると・・・、




注:18歳以上の方のみ写真をクリックしてください。



この他にもバランプールで、とうよりも今まで見てきた寺院の中ではダントツで『18禁』像もあるのですが、それはホントにスゴイのでここには載せられません。見た時はただただア然です。
※見たい方は個人的にメールしますのでご連絡を。

インドに来て1年3ヶ月、まだまだわからにことがいっぱいです。


●2007-1-9:インドの黒装束軍団

一時期、日本では白装束軍団が世間を騒がせていたことがありましたけど、インドでは11月後半から1月半ばにかけて黒装束軍団が現れます。





全身真っ黒の服を着て、おでこには白・黄色・赤の粉を塗った男性で、かなり目立ちます。かといって何か特別なことをしているわけではなく、その格好のまま仕事をしていたり、市場に買い物に来ていたりごく普通の生活を送っています。いったい何のために黒装束になるのか不思議だったのですが、私の友人が今年から黒装束を始めたため、ナゾが解けました。

彼らは南インド・ケララ州を中心に広まっているアイヤッパンというヒンドゥー教の神様を崇めている人たち。
11月後半から1月中旬にかけての51日間が公式お祈り期間で、男性のみ黒服を着てちょっとした苦行(バランプールの場合は睡眠と食事の制限)をしながら生活するのだそうです。
私のなぜ黒い服なのかの問いに、友人は「神様が好きな色だから」と答えていましたが、他にも理由がありそうな気がします。

信仰者は南インドを中心としていますが、オリッサの隣で南インドに区分されるアンドラプラデシュ州でも人気があり、住民にAP出身者が多いバランプールでもよく黒装束男性を見かけます。オリッサ全体では5000人ほどの信者がいるとのこと。

そしてこの時期、信者にとって一番の催しは聖地巡礼。
ケララ州にいくつかある聖地へはインド中から黒装束信者が集まり、昨年は5000万人が訪れたとか。友人もバランプールの信者63人と一緒に、昨日から一番有名なShabarimalaへ12日間の巡礼ツアーに出発しました。Shabarimalaまでは巡礼者のみ歩くことを許された86kmの道をはだしで歩いていくのだそう。 巡礼ツアーとは言っても、インド中から信者が集まって激混みしている聖地の滞在は2日間だけ、その他は南インドの観光地を周るそうです。 そういえば、マイソールでも多くの黒装束集団を見かけたので、他州からの巡礼ツアーも聖地に来たついでに南インドをいろいろ観光していくのが一般的なのでしょう。



おでこの白はアイヤッパンの父親であるシヴァ神を、
赤は母親のパールバティ
黄色がアイヤッパンを表すらしい。


それにしてもインドにいると、後から後からいろんな神様が登場してくるので、なかなか覚えきれません。

●2007-1-8:コインチョ、来たー!!!

最近、私の朝の日課は新聞が来たらすぐに地方版を見ること。
なぜならば、私にはずーーっと待っていたニュースがあったのです。
そして、今日ついに待ちに待った記事を見つけたのです。何かって?そーれーはー、

亀がオリッサにやってきたのです!!



~The Hindu紙の地方版1月8日の記事の意訳~

『Olive ridley turtleが今期は早くやってきた』






バランプール:大規模な数のOlive ridley turtleたちはRushikulya河口付近の海中で交尾をしている最中だが、すでに少数が河口付近の海岸で卵を産み始めている。 近隣の村人がボランティアとして集って作った亀保護委員会によると、この1週間で40匹近い亀が海岸に巣を作り始めており、大多数の亀が卵を産み始めるのは2月2週目からになるだろう、と伝えた。 またガンジャム沿岸部の漁師団体は、漁師達に亀の交尾を邪魔しないよう要請した。
ボランティアも森林局の職員もこんなに早く亀が巣を作り始めるとは思っておらず、保護の用意ができていなかったため、卵の多くはジャッカルや野良犬に食べられてしまった。また、漁師の網に引っかかった等の理由で現在までに8匹の亀が河口付近で死んでいる。


もうこれを読んでかなり興奮しちゃいました!ここ数年、環境汚染などが原因で亀がまったく来ない年もあると聞いていたし、今年の暖冬も影響しちゃうかも?と心配していました。それが、無事に亀さんたちは来てくれたのです。

しかもRushokulya河口はバランプールから車で1時間半程度の距離。ちなみにガンジャム沿岸部の”ガンジャム”とは地域名でバランプールもこのエリアに入っています。

ということで2月2週の本格的なアリバダ(数万等の亀の産卵)を前に、『チーム・オリッサ亀部隊』(私・たいし堂氏・サンバルプールに赴任中のラクシュミ)の中で一番ヒマな私が、早速あさってあたり現地視察に行ってまいります。

チェンナイや旅行に行っている1月中旬から下旬にかけて来られたら困るなぁと思っていたので、このタイミングはかなり絶妙です。もう亀に合わせて引越しの予定を組んじゃいまっせ~。

また新しい情報が入り次第、ここに載せますね~。


※タイトルの”コインチョ”とはオリッサ語で亀という意味です。


●2007-1-7:オリッサの漁業

少し前の新聞にオリッサの漁業に関する記事が載っていました。
それはバランプールから少し離れたプリーの海の漁師が語ったことで、最近漁獲量がめっきり減ってしまい稼ぎが少なくなったということ。

原因として挙げられていたのは、隣のお金持ち州アンドラプラデシュ(AP)からやってきた最新式大型漁船による領海侵犯。 手漕ぎボートでえっちらおっちら沖に出て、網を投げて、人力で引き上げるというような昔ながらの漁法をしているプリーの漁師の隣で、エンジン付きのAP船がドドドドッとやってきてトロールなどで一網打尽に魚を持って行ってしまうので、当然太刀打ちなどできません。 もちろん法律によって州の領海が決められているわけではないと思うのですが、それでも日々、数十ルピーも稼げないような地元の漁師にとってみたら、オイオイオイおたくの海は隣でしょ、とう感じ。

新聞に載っていたのはプリーの漁師でしたが、恐らくAPの州境により近いゴパルプール(バランプールの隣)の漁師の状況も同じ。

以前、州政府の漁業担当部長みたいな人に聞いた話では、オリッサ州政府としてもオリッサの漁業を発展させたいと思っているそうですが、船のグレードアップだけでなくインフラの整備など巨額の投資が必要になるので、貧しいオリッサでは思うような開発ができません。 現状としても南の海はAP州から、北はウエストベンガル州からの漁船がやってきてオリッサの魚は採られ放題。このままいくと、オリッサの海の漁業が衰退していってしまうのではないかと不安です。


で、なぜこの話題を今日持ってきたかというと、、、

我が家の食卓も大打撃を受けているのです。なぜなら最近、めっきり海魚が手に入らない!!

魚市場に並ぶ海魚は去年より明らかに少ない、とバランプール民は言っています。今年が暖冬なのでベンガル湾に来るべき魚が来ていないということも大いに関係しているとは思いますが、それにしても今期イカを見かけたのはたったの2回。それもサイズが小さいものばかり。中型カニも3回くらいしか買ってない。他の海魚もよくわからない種類で小型中心。 海に近いのに、海魚不毛地帯になってしまったようです。

まぁ、チェンナイに引っ越せば全国からいろんな魚が集まっているらしいのでいいのですが、値段がかなり高いということなので、ちょっとビビッてます。



バランプールの風景
毎週日曜日の早朝にやってくる「米乞い集団」。
街の貧しい人々が、
”バァーブゥー”(旦那ぁ)、”アンマァー”(奥さーん)と
大声で呼びかけをしながら各家庭をまわっていく。
そしてどの家庭も「またか・・・」とブツブツ言いながらも
追い払うことなくちゃんとお米や食べ物を分け与える。
※一軒屋の多い通りに来るので、ウチのような大型アパートには来ません。




●2007-1-6:サッコロコンダ。

これ、なんだかわかりますか??








実はこれ、バランプールではサッコロコンダと呼ばれている果物なのです。

これを果物専門屋台で見た時は得体のしれない物体に驚きました。私は果物好きなので、けっこう多くの果物を食して(or知って)いると思っていたのですが、まだまだ甘かった。土の中で育っているようだし、どう見てもイモですよね。

気になるので食べてみました。食べ方は生のまま手で皮をむいて、そのままガブリ。味は、、、

どう食べてもイモ

果肉(というより可食部分)は白、かなりみずみずしいものの食感はジャガイモ、ほんのり甘さを感じるといえば感じるけど、やっぱり生のジャガイモに近くてハッキリって美味しくないのです。
たまたま私が食べたものが美味しくないのかと思いバランプールの友人に尋ねてみると、こんなもんだ、ということなのでこんなもんなんでしょう。
果物として納得し難い味でした。

というのが去年のこと。

今年もサッコロコンダの季節がやってきて、町中にあふれています。
ということで、もう一度挑戦してみました。もしかしたら今年のほうがおいしいかもしれないし。
結果は、、、、同じ。これが果物として認知されているなんてホントに納得し難い。でも炒めて食べることもあるそうなので、今度はそっちを試してみようと思います。

ところで、これが何系の植物なのかご存知の方はいらっしゃいませんか?



●2007-1-5:2007年の目標

インターネット接続回復です。よかったよかった。

ところで、皆さんは今年の目標をたてましたか?

私はいつも目標を立てるものの実行に移さず、という典型的三日坊主なのですが、今年は現実的に、そしてインドをよく知るための目標を考えてみました。 名づけて、

『インド生活中だるみ解消計画』
~ついでにおなかのたるみも解消します~


①新聞を読む!
会社の入社式に言われそうな目標ですが、読むのはもちろんインドの新聞。今までは主に一面・地方面・テレビ欄だけだったのですが、もっとインド全体の動きに敏感になっていこうということで。

②ヒンディー語!
ぶっちゃけ、もう新しい言語を学ぼうとするやる気みたいなのは若いころに比べて低くなりつつあるのです。だってもう覚えられないんだもん!
なんだけど、簡単な日常会話程度でもできれば旅行する時やヒンディー語映画を見る時にもっとおもしろいだろうなぁと思うので、ちゃんと語学学校に行って学びます。これはバランプールではできなかったことのひとつ。
問題は、チェンナイ及び南インドで話されているのは違う言語。学校で学んでも日常生活では活かせません。インドは地方語が多すぎる・・・。


③エクササイズとしてヨガの修行!
今のヨガクラスは健康維持に重点を置いているため、呼吸法と穏やかな動きが中心。なので太ることはないけれど痩せることもないのです。
希望としてはやっぱりエキササイズとしてのヨガがやりたいわけです。そしてたるんだおなかをキュッとしめあげたい。上腕二等筋および三頭筋の違いをハッキリさせたい。チェンナイのヨガ事情に期待。


④旅行に行く前は予習をする!
インドは多民族国家で、それぞれ地域の特色があります。見たもの全てが「インド共通」だと思っていたことも、インド生活も2年目に入り、地域の風習や文化の違いなどの特色が見つけやすくなりました。なのでより興味深い旅行をするために、その地域の予習(例えばその地域の歴史とか、建築様式とか、文化とか)をしてから行くことにします。

④心に余裕を持って生活する!
私はマダム生活がしたくてインドに来たんです。それがなぜだか暴走するサイクルリクショーとバイクと競争しながらママチャリで野菜を買いに行き、2ルピーを値切ってトマトを買い、家に帰ればベランダのサルのウ○コを掃除するストレスフルな毎日・・・。チェンナイではもう少し優雅な生活(ってゆーか普通の生活)がしたいものです。


という感じです。
さて、2007年はどんな年になるのでしょうか。

●2007-1-4:今日の動物

ベランダ側のドアを開けておいた寝室に入ったら、エアコンの上にハトが2匹仲良く並んでとまっていた。すぐに追い払ったけど、ちょっとビックリ。

気になるウ○コはされてませんでした。

えらいぞ、ハト。ポロッポー。

●2007-1-2:2007初日記


新年、明けましておめでとうございます。
今年は猪突猛進(?)、インドに体当たりしていきたいと思います!

さて、年末のたいし堂にあるとおり、我が家で使用しているサーバーBSNLがオリッサ全域でダウンしております。 復旧にはあと3・4日はかかるということで、個人的に新年のご挨拶メールが遅れませんがご了承ください。 ちなみに今は違うサーバーを使っている街のインターネット屋に来ていますが、ものすごーーーーく遅いです。 年末のパーティーの写真が載せられないのが残念無念。

ちなみに我がシュリータワーの住人達はカウントダウンの時間を間違えインド時間11時55分に年を越してしまいました。 私たちはその事実に気づいてしまったので、なんとなく微妙な年越しでした。

ということで、2007年もよろしくお願いいたします。


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