ついに引越しです。 正午12時、インドで一番大きい引越業者が作業員6人と超大型トラック1台で我がアパートにやってきました。 電化製品などは彼らパッキングしてくれのですが、ちゃんとやってくれるのかどうか心配をしていました。しかし、プチプチや段ボール素材の厚紙、発泡スチロール・ビニールシートなどの本格的なパッキンググッズ持参で、どれも使い回しではなく新しいきれいなものだったので安心しました。 まずは電化製品や家具の梱包から始めました。ふんだんにパッキンググッズを使っての梱包なので輸送中に壊れたりキズがついたりすることはなさそう。 家具や電化製品の”角”保護用のグッズがある。 段ボール素材の厚紙で覆ったあとはビニールシートでグルグル。 さらに、私が箱や移民袋に入れていた比較的小さな荷物を使いまわしのプラスチックコンテナに入れて、パッキング終了。 決して迅速な動きではないものの、それなりに丁寧に梱包してくれました。 なんと引越し料金にはコップやら服やらすべての家財道具の梱包が含まれているらしいのですが、 あまりキレイとは言えないプラスチックコンテナにぶち込まれていくだけなので、そこらへんは自分でやっておいて良かったです。 そして非常にゆっくりした搬出作業の末、夕方6時にすべて完了。あとは4~5日かけてチェンナイに運ばれていきます。 私の愛車「Lady Bird」号も乗せました。 ところで、 インドの長距離ドライバー1人に聞きました!! 『ドライバーの労働状況はどんなもの?』 答えてくれたのは、引越し業者専属のドライバー某氏。彼らの仕事は完全に運転だけで、引越し作業は一切手伝いません。 まず、彼らの給料は走行距離で換算されていて完全に出来高払い。1kmだいたい9ピー/kmだそうです。 そのため今回のようにバランプール-チェンナイ間1300kmを走ると、およそ12000(30000円)を受け取ることになります。 ところがどっこい、この値段の中からガソリン代や食費などを払わなければならないそうなんです。 となると、ディーゼル1ℓが約37ルピーで、トラックの燃費がリッター5kmだとすると・・・9620ルピーがガソリン代!! しかも1日の労働時間は20時間(早朝4時~深夜0時まで)を強いられているそう・・・。 割にあっているのでしょうか? 夜、高速を走ると、トラックドライバー達は絶対にライトをハイビームにして走っているんだけど、 もしかしてこれは対向トラックにまぶしい思いをさせて、居眠り運転をさせないようにお互い助け合っているのではないかしら?とふと思ってしまいました。 今週土曜日、満月の夜、カメに再チャレンジするので、それまでホテルに滞在します。 どうもご無沙汰でございます。 昨夜未明、バランプールに帰ってきました。 今回のチェンナイ滞在は、主にレストランやナイトスポットなどなどの新規開拓にいそしんでおりました。 やっぱり都会はいいねぇ~。 だって、レストランはイタリアンもメキシカンもタイもあるし、本格化アイスクリームを出すカフェもあるし、クラブや映画館なんかの娯楽もあるし、 アーユルヴェーダマッサージやタイマッサージなんかもあるし。 しかもそれぞれに選択肢があるのがうれしい。 1年半にわたる抑圧生活の末の都会移住なので、あれもしたいこれもしたい、で、今後かなりお金を使ってしまいそうな予感です。 そして新居ですが、たいし堂氏の同僚のインド人とアパートをシェアすることになりました。 シェアと言っても、彼女は2ヵ月後くらいに引っ越す予定なのでそれまでの間だけ。 大通りに面しているものの、アパートメントコンプレックスの後ろの方なので静かだし、 部屋は7階で眺めもよし、蚊も少ない。間取りは2ベットルーム(エアコン完備)・2バスルーム(湯沸かし器完備・洋式トイレ)・リビング・今より広いキッチン・室内に洗濯機置き場あり、で希望通り。壁は比較的最近にペンキを塗り替えた感じで清潔感があるし、もう一目で気に入りました。 しかもアパート内にはセレブの象徴、プール付きだっ!! オーホホホ~! って、引かないでください。 こんな物件でも家賃は日本円に換算すると、東京24区内築ウン十年風呂なしアパート『若葉荘』的なお値段なのですよ。 (それでもバランプールの4倍するんですが・・・。) リビング 内装は白を基調としています。 ベランダに面したドアが隣り合って2つある。 大幅に妥協することなく、気に入った部屋が見つかってよかったよかった。 どうも昔からギリギリにならないとやる気がおきないもので・・・。昨日、今日で本格的に荷作りしています。 冷蔵庫や洗濯機などの大きな家電は引越し屋さんが梱包してくれるそうなので、私がまとめるのはその他の小物。 引越し屋さんがどのように扱うか不安なため、服と本以外が入っている箱はすべて「Fragile!!(取り扱い注意)」と大きく書いてみました。ちゃんと気をつけてくれるかしら? 私が考え出した「伊藤家」的アイデア。 緩衝材変わりに、ペットボトルを切って中にボトルを入れてみました。 結構いい感じ。 明日の朝からチェンナイに向けて出発して、たいし堂氏が見つけたアパート候補を見てこようと思います。 2月5日の日記にあるように、ここ最近、毎日のようにウミガメ情報が入っていました。ついには「昨夜は400匹来た!」という連絡を受け、これだけ来ているならアリバダを待たずとも、産卵を目撃するには十分。ゴア旅行中の友人7ちゃんも30時間かけてインド横断、ブバネシュワル在住邦人S夫妻も来て、2月10日の夜、みんなでRushikulya河口を目指したのです。 ちなみに情報源は、両親とRushikulyaに行った時に出会った森林局のウミガメプロジェクトで働くジャナパティ・サフー君(推定23歳)。前回、いろいろ案内をしてもらったにも関わらず、私たちの手持ちのお金が少なく、小額のチップにスネてしまったジャナパティ君はこの若さにも関わらず英語はおろかヒンディーもしゃべれずオリッサ語のみでちょっと頼りない。しかもオリッサの法則からすると、こういうオリッサ語のみの若者の言うことはいい加減でハッキリ言ってアテにならないことが多いのです。 とは言え、私が頼れるのは彼だけ。そのため、毎日のようにしつこくオリッサ語と英語が話せる人に電話をしてもらい、情報を得ていたのです。そして今夜も来ている、とのこと。 で、2月10日の夜。ちょっと遅めの1時半、現地に到着しました。近くにあるプロジェクトの小屋で寝ていたジャナパティ君を電話でたたき起こし、彼をガイドに早速ウミガメの海岸に向かいます。 車を止めた漁村から月明かりをたよりに草むらを歩いて30分ほどすると、一見海岸のような砂場に出ます。そして目の前には海、と思いきやこれは川。幅20メートルほどの川を漁師の手漕ぎ船で渡らねばなりません。ウミガメの産卵地は対岸の砂でできた細長い島なのです。 真夜中の2時過ぎに漁師なんかいるのか、と不思議だったのですが、それがいたのです。それも数人。朝、市場でみかける魚たちはこうして真夜中に漁師が獲っているんだということが判明しました。 1台をチャーターして川を渡ります。もうここまで来ると村の街頭も遠く、沖にはモーター付漁船のライトが見え隠れする程度。あとは半分に欠けた月の明かりと満天の星空。川は黒く、表面は月明かりに照らされています。そんな人の顔さえなかなか判別できない闇のなか、手漕ぎボートに乗って川を渡るのは何だかワクワクします。 驚いたことに、オールを水に入れたそばから先端付近の水がポワーッとピンク色に光ります。水に手を入れると無数の流れ星のようにキラキラと光るものが流れていきます。なんと夜光虫がいるのです。なんとも幻想的な光景に一同感動しきり。 川を渡りきって、対岸へ出ました。そしてここから私たちの本格的なウミガメ捜索が始まりました。 日に400匹も来ているなら、簡単に見つかるだろうと思っていたのですが、予想に反して海岸にはカメッ子1匹見当たりません。時々、見かける黒い影に「もしやっ!!」と近づいてみるも、ゴミかカメの死体。 そうこうしていると、海岸に数人の人影が。漁師かと思ったら、なんとウミガメプロジェクトの職員で、毎夜、ここでウミガメ探しをしているそう。彼ら曰く、今夜は今のところ11時に1匹が産卵に来たのみで、雰囲気から察するに今後の上陸は可能性が薄そうだったのですが、あきらめ切れずそのまま海岸を1時間ほど歩いて捜索しました。結局見つかったのはカメの死体数体と上陸しかけたカメの足跡2ヶ所のみ。 非常に心残りだけど捜索打ち切りとなりました。 帰り際、海岸にいた先ほどの職員に聞くと昨日は3匹だけだった、とのこと。やっぱりいい加減だったガナパティ・サフー。もう信用ならない彼は放っておき、今後はこの現場でカメ調査をしている職員カリ氏と連絡を取り合うべく、電話番号を聞いておきました。 カメは見れなかったものの、幻想的でキレイな海が見れたので来た甲斐はありました。次回、来る時は早めに出発して、夜の海岸ピクニックをしつつウミガメを待ちたいと思います。 現時点でのカメの本格的産卵は2月22日~3月10日だそうです。満月が3月2日なので、そのあたりにアリバダが来るのでは!?と踏んでいます。 ちなみに、ウミガメはベンガル湾一体で産卵をしているらしく、チェンナイ付近の海岸での産卵シーンがおとといの新聞に写真付で載っていました・・・。あさってから1週間、チェンナイに行くので機会があれば見に行こうと思います。でもアリバダはRushikulyaのみなので、こちらも狙っています。 ここ数日、いろいろなことがありました。 オーストラリアに移住していく中国おじいさんとおばあさんとの別れ、昨年一緒にダージリンに行った友人7ちゃんのバランプール帰還、チームオリッサ・ブバネシュワル支部の日本人S夫妻のバランプール訪問、そしてみんなで行った真夜中のウミガメ捜索の旅、友人のお兄さんの結婚披露宴出席。 近隣に住むおじいさんたちの親戚十数人が集まっての食事は 中国で新年を迎えるかのようなにぎやかさとご馳走でした。 会話の基本は一族の出身地である広東省梅県の言葉だけど、 みんな標準語もできる。 バンガロールで働いているお兄さん、 オリッサ出身マディヤプラデシュ州ボパール育ちの奥さん。 もちろん同じカースト。 新聞のお見合い広告欄で捜したそう。 披露宴会場にいたミッキーと。 写真を撮っている間、”中の人”からずーっと 「どこから来たの?ヒンディー語わかる?」と質問され続けた。 ミッキーはしゃべっちゃいけないのに・・・。 ウミガメ捜索の模様は後日、お伝えします。 引越しの荷物をまとめるのに必要なビニール紐やらガムテープやらの買出しに。 ダンボールは新品は売っていないので商店街のお店から使用済みを買いました。ここでは何でも再利用するため、日本のようにタダではもらえません。汚れていたり、穴が開いていても有料なのです。 しかも当然サイズが選べず、異様に大きな箱になってしまいました。本を満杯に入れたら持てないと思う。 緩衝材(プチプチ)も欲しかったけど、そんな気の利いたものバランプールにはないので、グシャグシャにした新聞紙を代用することにします。 では旅行記の続き。
1月24日~27日:バラナシ・アグラー・デリー 旅のテーマ:有名な観光地の観光 バラナシ ガート:ガンジス河沿いに80近く作られた階段状の沐浴場 ガート同士は隣り合っているが、ひとつひとつ持ち主(団体)がいて、 中にはネパール王宮所有のガートもある。 カルカッタ発の寝台列車は快調に進み、早朝の車窓からは名物『村人の朝の営み(排泄)』もバッチリ目撃し、出発から14時間後の朝9時過ぎにガンジス河で有名なバラナシに着いた。 早速、ガンジスビューの部屋を予約してあるホテルにチェックイン。 休憩のためチャイを飲みつつ部屋のベランダからガンジス河を眺めようということになったのだが、なんと眼下(ホテルとガンジス河の間)には掘っ立て小屋が5軒ほどあり、物乞いを生業とする家族が住んでいた。 そのためガンジス側を見るにはどうしもて物乞い達のつつましい生活風景も一緒に視界に入ってしまい、優雅にお茶するにはどうも申し訳ない。しかも目が合うとあちらも商売上、瞬時に悲壮感をいっぱいの表情に切り替えて「お金ちょうだい」の仕草をしてくるし(※)、 なんとも複雑な気分のチャイ休憩となった。 ※観光地にいるような物乞いは、それまで仲間内で笑い話をしていても外国人やお金持ちを見ると瞬時に悲壮感をただよわすことができる。子供達もキャーキャー叫びながら走り回って遊んでいる現場を見られていようがなんだろうが、カモをみつけると瞬時に目に涙をため、もう何日もご飯食べてません、という表情になる。もはや瞬間芸の域。さらにインドには、時々都会で出稼ぎとして物乞いをして、実は村で普通の生活を送っている職業物乞いがいるので、お金をあげる場合は本物かどうかの見極め(?)が必要。 昼食後、ホテルのあるアッシーガート付近を散策。寄ってくる物乞い、子供の物売り、ウロつくヤギ、話に聞いていた以上にキレイではないガンジス河で沐浴する人、体を洗う人、歯を磨く人、洗濯する人などなどに両親、特に母親は衝撃を受けたようだ(親族のみなさん、詳細は本人達から聞いてください)。 沐浴後のお祈り その後は別行動となり、私とたいし堂氏はリクショーに乗って別のガートへ、父親はホテルから徒歩圏内のガートへ、母親はホテル待機となった。 私にとってバラナシは、1998年の訪問以来2度目。特に何が変わったか前回の記憶も曖昧だし、今回は滞在時間が短かったので、多少街が発展したかなくらいで、あまり見出せなかったが、”痴漢がいなくなった”ということだけは断言できる! 前回は歩けば必ず何度かインドおやじにオシリを触られていて、バラナシ=痴漢というイメージを強く抱いていたが(もちろん私は普通の格好をしていた)、今回はなんと皆無!以前は旅行者を狙った犯罪が多発していて治安が最も良くない場所のひとつだったが、この数年で多少は改善されたのかもしれない。(私が「対象外」になったとかそういう理由は認めない) サドゥー(修行者) インドの聖地に多く、写真の被写体として旅行者からも人気。 翌朝はボートに乗って日の出や沐浴風景を見ながらの河下り。河に面して作られている露天の火葬場(マニカルニカーガート)にも行く。死体は焼く前にガンジス河に浸され、キャンプファイヤーのように積まれた薪の上に死体が乗せ、約3時間かけて焼く。焼き終わると遺骨の一部をガンジス河に投げこんで終了。日中、街を歩いていれば次々と布に包まれた死体を乗せた担架を担ぎ火葬場に向かう団体に出会う。この火葬場のすぐ近くには薪屋さんがある。聞けば1kg150~200ルピー(400~500円)。オリッサの薪と比べてものすごく高くて驚いた。 そういえば、インドにどっぷり漬かってまっせ~的風貌の外国人が多いのも不思議な魅力に溢れるバラナシっぽい。たいてい髪は長いドレッド、ボロボロの服を着て素足で歩いている。すごいなぁ。 ガートのある側の岸。 ガートのない反対側の岸。 別名「不毛の地」 ここバラナシは時間があれば日がな一日、ガートに座って人々の様子を眺めていても飽きないようなところ。たいし堂氏がえらく気に入っていたようなので、私達は今後また来る機会があるかもしれない。 さて、このあとは飛行機でデリーに移動。翌日はリパブリックデーでお店も観光地も閉まっていた。結局ほとんどデリー観光も買い物もできないままホテルにいることに。そして、電車で2時間のアグラーへ行く。 ここでの目的はもちろんタージマハール。 残念なことにこの時期のデリー、アグラー付近は霧が多い。究極の建築美としても有名なこの建物、敷地内のいたるところに写真撮りスポットがあるのだが(ガイドや係員が教えてくれる)、霧のせいで少し離れると見えなくなってしまい、きれいな全体像が撮れなかった。 本来ならこのアーチ越しにタージマハールが見え、額縁に入った絵のようにみえる。 朝焼けに照らされるタージ やっぱりキレイ。 ということで、両親の訪印記は終了。 10日間でいろいろな場所に行ったのでかなり慌しかったが、幸運にも両親ともお腹は大丈夫だったし、その他大きなトラブルもなかった。 両親の感想として、「インドは”千聞は一見にしかず”だ」というものがあったが、ホントにその通りだと思う。たとえ、ガイドブック、有名人の紀行文や資料をたくさん読んでも、インドばかりは実際に見てみないとこの特異な個性は感じ取れない。 やっぱりインドは奥が深い!! 1人だと料理するのも面倒だし・・・、ということで中国おじいさんの家に遊びに行って、ちゃっかりお昼ごはんを食べてきました。おばあさんの作る中華料理はすっごく美味しいのです。今日の逸品は鶏レバーと長ネギの炒め物とカレー風味の炸鶏(鶏の唐揚げ)。作り方を聞いたので、今度試してみます♪ では旅行記の続き。
1月19日~22日:オリッサ 旅のテーマ:ノスタルジックな農村風景 ここをクリックしてください。 今月はちょっと忙しいです。家探し&引越しやらウミガメの産卵やらで、バランプールを行ったり来たりになりそう。 では旅行記の続きです。
バラナシのヤギ 【旅の準備】 両親の訪印が決まったのが10月下旬、そこから準備が急ピッチで始まった。1月後半の旅行なのにちょっと早いんじゃないか?と思うかもしれないが、観光シーズン(11月~2月)のインドを短期間で個人旅行する場合は早め早めの行動が吉。 ①スケジュール決め 出発・帰国日から訪問地と訪問日・移動方法などスケジュールと、国際線のチケットを買う日本の旅行会社を決めることに半月ほど要した。 ところで今回、私たちの反省点のひとつに”祝祭日”をまったく考えていなかったことがある。 インドでは国で決められた祝日は年に4日のみ(1月26日リパブリックデー、8月15日インディペンデンスデー、10月2日ガンディー誕生日、12月25日クリスマス)。この日は基本的にほとんどのお店やレストランが休みになると思っていたほうがよいだろう。 例えば今回私たちがデリーでぶつかってしまった1月26日のリパブリックデーでは、朝から昼過ぎまでパレードのため街の中心の道路は部分的に閉鎖。観光地は閉まっていて中に入れず、お店もあいておらず結局やることがなくてホテルにいるハメになった。さらに、この4日の公休日のほか、各州で祝祭日がある。4日の公休日ほど観光に支障は出ないことがほどんどだが、大きなお祭り休み週間にぶつかると民族大移動並みの混雑で電車の予約が困難になったりするので、念のため観光局のサイトをチェックすることを薦める。 また観光地によっては定休日があるので注意(ちなみにタージマハールは金曜日休み)。 ②国際線フライトの予約 いろいろな会社に見積もりを出してもらい、諸条件(ビザ代行手配費用や国内線フライトの手配価格※)とあわせて吟味した結果、今回は旅人舎にお願いした。 ※国際線(エアインディア)と合わせて国内線を手配すると、特定の国内線航空会社(エアサハラ)の利用が1路線5000~7000円で手配できるため、インド国内で格安チケットを手配するより安い場合もある。 ③寝台列車予約(ファーストクラス) インド国内の寝台列車(カルカッタ-バラナシ間)の予約。 広ーいインドの旅、時間がない旅行者は飛行機を利用するのが一般的だが、この区間は主要観光地にも関わらず直行便のフライトがない。そのため時間を有効活用するために寝台列車で夜に移動することが望ましいと思われる(所要14時間程度)。 今回は寝台列車に慣れていない両親のため、コンパートメントが壁とドアで仕切られていて、完全にプライベートが確保できる最高レベルのファーストクラス(1st AC)を利用することにした。 しかし通常ファーストクラスは席数が非常に少ないため、早めの席確保が必要となる。今回利用したAmritsalExpressの場合、ファーストクラスが3コンパートメント(12席分)しかなく、私が席を購入した時(発売開始の1週間後であった11月下旬)が最後の4席だった。セーフ。 ※列車の時刻表・空席情報を調べるにはこのサイト(http://www.indianrail.gov.in/)が便利。クレジットカードがあれば海外からの購入も可能(購入サイト)。ちなみに購入は出発日の60日前から可能。 ④国内線フライトの予約 短期旅行者の移動手段。インドでは同じ路線を何社かの航空会社が飛んでいて、格安チケットなるものも存在する。これだと正規料金が1万5千円のフライトでも5千円程度で購入できる場合もあるので、利用する価値は高い(ただし、たいていはキャンセル不可)。私たちはいつもMake My Tripを利用しているのだが、早く購入すれば安くなるということでもなく、値段は常に上下変動している。不定期で航空会社がキャンペーンを打つらしく、その瞬間にあたると格安。残席が少なくなるにつれ価格があがっていく。こまめにサイトをチェックしていると思いがけず超格安に出会うことがある。 ※Make My Tripもクレジットカードでの購入が可能だが、インド・アメリカ・イギリスに銀行口座がある場合のみ。日本の口座しかない場合、直接電話をしてオペレーターとかなり面倒なやり取りをすれば可能。 また、国内線フライトで注意したいのは、1時間程度の遅延は遅れのうちに入らないと思えるくらい、各社とも大幅な遅れは日常茶飯事であること。またキャンセルも比較的多い。12月・1月のデリー付近は霧が多く、主に夜間のフライトは大幅に遅れる可能性(最悪の場合はキャンセル)が高い。 今回は幸い1時間以上の遅れはなかったが、一度ブバネシュワル→カルカッタ間のフライトがキャンセルになってしまった。とは言え、2日前にわかったので、すぐに他の航空会社で30分違いのフライトに変更できたため旅に支障は出なかった。 ⑤電車の予約(セカンドAC以下) ファーストクラスほど急ぐ必要はないが、路線・時期によっては早く完売してしまう。 列車で注意したいのは、始発駅からの出発は滅多に遅れることはないが(30分程度の遅れは遅れのうちに入らない)、始発駅が遠ければ遠いほど2時間3時間遅れでやってくる可能性が高いこと。今回は寝台の他、デリー(始発)→アグラー間の利用をしたのだが、アグラー付近が始発になっている列車はないため大幅な遅延がありえることを考え、車でデリーに帰った。 ⑥ホテル予約 実は12月に入ってから忙しかったため、ホテルの検索と予約が伸び伸びになって年末になって行動を始めたのだが、カルカッタ・バラナシ・デリーでは希望のホテルが満室で予約が取れなくなってしまっていた。もちろん変わりとなるホテルはたくさんあるからいいのだが、人気のホテルに宿泊したい場合や眺めのいい部屋(部屋からタージマハールが見える、とか)を希望する場合は、かなり早めに予約した方がよいだろう(観光シーズン)。 日本の旅行会社や日本語予約サイトを通して予約する場合、インド国内で予約するよりも1.5倍以上高いようだ。 自分で中級~高級に予約を入れる場合は、インドのディスカウントサイトを利用するとよい(予約の時点でクレジットカード決済をする、キャンセル不可)。 例えば、今回アグラーで宿泊したジャイピーホテル(Jaypee Hotel)。ここはタージマハールから程近いところにある5つ星のホテルなのだが、直接ホテルに予約を入れた場合は、ダブルルーム1泊8000ルピー(約2万円)。しかしディスカウントサイトを利用すると1泊約6000ルピー(約1万5千円)となる。これはデリーで宿泊した中の上レベルのホテルコンノートの1泊と同じ値段。もちろんデリーとアグラーという立地条件の違いもあるが、それでも「同じ値段でここまで違うか・・・」と思ってしまった。(コンノートホテルも日本からのツアーが利用するようないいホテルではあったが) またインドのホテル事情を説明するならば、明らかに質と値段が見合っていないところが多い。毎年、ホテルの需要が高まるにつれサービスや設備は二の次で価格だけがどんどん高騰している。そのため、日本のビジネスホテルやアメリカのモーテルと同じような値段でも、実際には設備が古くて温水シャワーがチョロチョロとしか出ないようなホテルが多い。 その顕著な例がデリーの3000~4000ルピー(7500~1万円くらい)の中級ホテル。衛生・設備・サービスで満足のいくホテルに宿泊するならば1万5千円以上の高級ホテルになってしまう。私たちは目下、口コミによる各地の良いホテル情報を収集している。 参考程度にいくつディスカウントかサイトを。 Make My Trip Hotelsguru Cleartrip ⑦チャーター車の手配 これはインド国内の旅行会社も車もたくさんあるので急ぐ必要はない。インド政府の観光サイトであるインクレディブルインディアに行けば主要観光地の旅行会社が多数紹介されている。とは言え、ここに乗っている全ての旅行会社が必ずしも良心的だとは思えないので、先に現地の政府観光局で相場を聞いておくとよい。オススメの旅行会社を紹介してもらえることもある。 ガイドを雇う場合も旅行会社で手配可能。今回はアグラーで政府に登録されているというガイドをお願いをしたが、あまり役に立たなかった。どのように質の良いガイドを手配するかについては私たちの今後の課題。 ⑧日本からの持ち物リスト作成 私たちのために持ってきてもらう、日本食などのこと。実はこのリスト作りが一番早くやり始めたこと・・・。日本米とか塩辛とか夢にまで見るほど食べたいものが山ほどあったので。 次回はようやく旅行編に入ります。 1週間ぶりに帰ってきたバランプールは、朝晩の涼しさがなくなってもうすっかり初夏の陽気になっていました。スイカも売り出されてきたし、これからグングン暑くなります。 ということで、旅行記です。
というのはウチの父親は好奇心旺盛なので多少の"インド的衝撃”なら楽しんで受け入れられるのだが、問題は母親。かなりの潔癖症なため、インド到着早々に拒否反応を示すのは明らかだからだ。もちろん日本のツアーのように、全行程の移動はチャーター車で外資系などの高級ホテルに泊まるという、インドの負の部分は見せない旅行にすることもできる。 だが、インドで1、2を争う貧しい州・オリッサの片田舎街バランプールにも来たいということだったので、どうしても完全な『セレブの旅』は無理。それならば母親には時々我慢してもらい、都会も田舎も富も貧もできるだけ『おもしろインド』を体験してもらうことに決めた。 最終的に消化した日程は下記の通り。
当然アクシデントがあったので当初の予定の70%くらいの消化率となってしまったが、それでも初インドにしては主要観光地以外にも『おもしろインド』のポイントは多くおさえられた思う。父親はオートリクショーの運転までしていったし。 明日からは、旅の準備など項目別に旅行の様子を書いていきたいと思います。 最新の日記に戻る |